米国に見るIRの変遷、エイボンレター公表から
1988年、企業年金基金の監督官庁である労働省は
エイボン社に対して送ったエイボン・レターを公表し、
それまで禁じていた議決権行使を解禁し、
「企業年金における議決権行使は、年金資産等の運用に伴う
受託者責任の一部である」としました。
その結果、1990年代は議決権を行使する「物言う機関投資家」が増え、
社外取締役の派遣や、経営不振企業の
CEO解任動議の提案に対応するなど、
IRは機関投資家を意識して展開されるようになっていきます。
機関投資家がとった、こうした株主利益を追求した行動を
株主行動またはガバナンス行動と言います。
Photo by (c)Tomo.Yun
しかし議決権を実際に行使する機関投資家は、
カルパースに代表される公務員退職年金基金や
私学共済年金基金等、一部のファンドに限られていました。
投資先企業とスポンサー企業の密接な関係が、
年金基金の企業に対する株主行動を
暗黙のうちに妨げていたのです。
投資先企業と利害関係のないカルパースのような年金基金でさえ
様々な圧力をかけられました。
物言う株主(機関投資家)はアメリカでも煙たい存在だったのです。
年金基金による株主行動(議決権行使)が
モニタリングを改善したのか、
経営効率の改善に果たして結びついたのか、
については議論が分かれるところですが、
こうした直接的な経営への関与は、会社経営陣に
少なからず緊張感を与えたことは間違いないでしょう。
社外取締役を中心とする取締役会が、
実際の経営者(執行役員)を監督及び統治する体制、
いわゆるガバナンスとマネジメントの分離は
この頃から育ち始め、米経済は急速に効率化及び
合理化されていきました。
90年代半ばには、
インターネットの普及によりオンラインで売買をする投資家、
ストックオプションを付与された
従業員投資家も登場するなど、投資家の幅が広がりました。
利益を追求するだけでなく、環境や社会問題に対する
企業の姿勢を意識した投資行動は、
社会的責任投資(SRI)という投資スタイルを生み出し、
IRにどれだけ熱心に取り組んでいるかが、
投資判断の一つの材料になってきたのもこの頃からです。
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2000年にレギュレーションFD(レギュレーションフェア
ディスクロージャー、Regulation FaiR Disclosure)が
制定されたのは、
拡大する個人投資家と機関投資家間の情報ギャップが、
無視できない大きさにまで広がっていたことにあります。
こういう情報格差が、
インサイダー取引の温床になっているとして、SEC
(米証券取引委員会、U.S. Securities and Exchange Commission)
が制定したレギュレーションFDは、
特定の関係者のみに重要事項を意図的に開示してはならない旨、
もしも意図せざる開示が行われたと知った場合は、
速やかに公表する旨が書かれています。
情報を公平に開示するのにうってつけなのが
インターネットの利用です。
企業はこぞってIRコンテンツをホームページに加えました。
大和インベスター・リレーションズでは、
「インターネットIR・ベスト企業賞」なるものも設けています。
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1980〜90年代のIRは、まだPRの要素が強い時代でした。
NIRIが1988年に定義した際も、IRは、
企業を投資家に売り込むマーケティング活動としています。
しかし2000年代に入り、景気低迷の中発生した
エンロン社やワールドコム社の粉飾決算スキャンダルを受けて
2002年に制定されたサーベンス・オクスリー法は、
コンプライアンスを最重要視するものへと
重点をシフトしていきます。
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